2010年9月11日土曜日

【本・映画】阿部和重『アメリカの夜』

阿部和重の本を初めて読んだので、その感想を書こうと思う。

読んだのは阿部の処女作『アメリカの夜』

短い小説であるが、最初から内容の面白さと流れるような書き方によって
すいすいと読み進めることができた。

しかし、やはり重要なのは文章の最後であろう。

主人公の唯生はずっと「特別な存在」でありたいと願っていたが
文章の終わりには、そういった人生から自らを「切断」し「実践的な回生」を遂げる。
肥大した自意識を抱え、これまで、まわりの人たちを「小春日和」を盲信しているとして蔑んでいた
彼も、「特別な存在」というものがあることを盲信していた自分自身こそが
「小春日和」の人であったことに気づく。
そして、現実を見つめ、自分と向き合うことからしか何も始まらないという事実を受け入れる。
現実の虚構性を深く自覚しつつ、そのうえで「あえて」人生を生きる。


唯生は、現実を見ずに「虚構」に生きている「アートな人」たちの「現実感覚のなさ」に
対して苛立ち、侮蔑していたが、実際は「特別な存在」になれるということを信じていた
自分こそが「現実」が見えていない「虚構の人」であった、という風に書かれている。
しかし、ここである疑問が浮かぶのだ。

これまで自分と他者を異なる存在として位置付けてきた人物が、
自分も他者も同じように「虚構」ばかり見ていたという点では同じであり
「特別な存在」の不可能性を知る、といっても
そこに残るのは「自己と他者の同質性」ではなく
依然として「そういう事態に気づいている自己と他者の差異」ではないだろうか。

自分は「特別な存在」にはなれない
だが、周りともやはり違うのだ


そういう心境に、人はなるのではないだろうか
そこにもはや自己の「特別性」は存在しないが、自己と他者との終わりなき「差異化」
が繰り広げられる可能性がある

そして、そのことは唯生のような人物にとって
真の意味で「現実」と向き合うことを可能にするのか…

2010年8月12日木曜日

スイッチがオンされた


8月6日~8日、スイッチオンプロジェクトのジャーナリストキャンプに参加してきた。

「記者」になるつもりなんて全くなかったので、当然参加するつもりもなかったイベントであったが、
「ジャーナリズム」について現役の記者の方や関心の高い学生と話せると思い、締切ぎりぎりで
参加を決意した。


こういう経緯だったので、プログラムそれ自体よりも、いろんな人と話して考えていること
を聞いたり話したりすることに重きを置くつもりだったのだが、その考えは初日からくつがえされた。




・「ジャーナリスト」の存在証明

プログラムがぎっしりで、意見交換をする時間なんてほとんどなかったというのも原因のひとつだが、
それよりもプログラム自体の濃密さに驚き、のめりこみ、必死だったというのが大きかった。

一日目のワークショップでは「ジャーナリスト」のスキルを
①仮説構築
②調査・分析
③構成・解釈
④編集・表現
に分類したうえで、③構成までの訓練を行った。

これまで僕は、「ジャーナリスト」と呼ばれている人たちがどのようなスキルを
持っているかよくわかっていなかった。
むしろ「志」「使命感」という面でのみ特徴がある人たちなのではないか、スキルなど存在していないのではないか、とさえ考えていた。

しかし初日のプログラムで完全にこの考えは覆った。実際に自分でやってみたり、坪田知己さんの実演を見たりするなかで、「プロ」のすごさを体感した。

仮説がなかなか立てられない
思った通りに相手は話してくれない
質問しながらうまく次の展開を考えられない
等々


素人との違いは明らかだった。
「ジャーナリスト」は存在した。


・「場」の呪縛と思考停止

二日目は架空の村での実践的な取材。
前日の班会議の段階から、普段から自分が不満を抱いているような記事だけは書くまいと思っていた。

安易な二項対立
問題の構造を分析せずに、印象論・感情論に走ること
がんばっているから素晴らしい式の議論
環境、共同体、伝統などは守るべきものであり、過疎は止めるべきものであるという単純な前提

上記のような記事は、誰もがダメだと思うようなものではないし、いい記事もなかにはあるだろう。
でも少なくとも僕はあまり好まないし、普段「研究」の現場にいる立ち場からすれば、問題の構造を分析し、背景やそのメリット・デメリットを提示することが大切であると考えていた。

仮説をつくる段階や取材後の構成をする段階でも
「なぜ合理的な政策形成が妨げられているのか」について、他の過疎地域や日本全体へとある程度一般化できるような分析をしたかった(その意味では読者ターゲットは過疎地域の人だけでなかった)。物事の多義性をそのまま書きたかった。

しかしいざ構成しようとしてみると、そこでは分析のためのファクトが決定的に足りないことに気づかされた。
デスクの方には「この状態では書けないです」とも言ってしまう始末だったが、それは自分の取材ミスでもある。
そのうえ最終的には、事実が足りないと感じながらも「どうにかひとつのストーリーにする」ことを優先してしまっていた。
当初の「こんな記事は書きたくない」という考えはどこへやら。
「記事を構成しなければ」という思いに支配されていた。
「記事」らしい記事へと、思考は安易な方向へ流れていった。


取材中も思考は簡単に停止した。
PDの藤代さんも指摘されていたが、取材中、多少なりとも僕らは「記者」になってしまっていた。
いろんなことを一歩引いて見てしまう僕は、「決してメディアスクラムのようなことはないように」と思っていたし、実際多くの人が一斉にひとりに取材する光景をなんだかなと思っていた。
しかしそこでただ見ているだけにもいかないのは事実。いつのまにか競うように自分の質問をぶつけていた。

「場」に支配されっぱなしで、完全に思考は停止していた。
自分の「考え」はかくも脆かった。悔しい。



・スイッチがオンされた

班でどうにかつくった構成も、中間報告ではいろいろ指摘された。
自分でも不満に思っているものを出し、案の定ボロボロ。

そんななかでもなんとかデスクや班のメンバーと話し合いながら
最終的にひとつのものに落ち着けたのはよかったと思う。とりあえず。
納得のいく記事を書けたかというと答は「NO」だが、
現役の記者であるデスクが必死に悩む姿や、自分とは違う視点を持ったメンバーとの
対話を通じていろいろ考えるきっかけになった。


「伝える」ということは非常に困難な営みである。追い込まれた。追い込んだ。
「伝える」ということは非常に興味深い営みである。気づきがあった。
「伝える」ということは「伝わる」ことを意識しなければ成立しない。


ここで「オン」したスイッチを、「オフ」させない。


と、いろんな「学び」
というか「気づき」(それはきっかけにすぎない)や「出会い」(それを深められるかは自分次第である)
があって有意義だった一方で
当初の目的について言えば少し不十分であった。
最後の交流会がなくなってしまったことで、指導役の方や学生と話す機会が少々少なかったように思う。
そこは残念。


※写真は班で作成した記事の構成

2010年3月25日木曜日

東京大学卒業

節目の日なので、ちょっと細かく記しておこう。

前日は普段の夜更かし生活のせいかなかなか寝付けなかったのだが、まさか親の電話で目を覚ますとは思っていなかった。卒業式は9時から。でも携帯を見てみると…








8時20分




あー、やっちまった。よりによってこんな日に。
せっかく前日に切った髪もぼさぼさのまま、ありえないくらい急いで支度。


雨。


タクシーだ!
というわけでタクシーに乗ったものの、本郷通りは激混み。
途中で降りてダッシュ、ダッシュ、ダッシュ。

なんとか間に合って安田講堂に入り、先輩にとってもらっていた席へ。
普通に立ち見になるところだったよ。


式のなかで濱田総長が強調していたのは
・リスクをとれ
・多様性
の2つだった。
特に前者については、東京大学で学んだ学生はリスクを最小にできる能力を身につけているはずなので、制度の構築・改革を行う必要が生じたときは率先してリスクをとって行動してほしいということだった。

西田亮介さんも最近よく言われていることだが、日本ではどんどん若者がリスクをとらなくなってきている。
しかしながら、社会の制度や慣習が現状に合わなくなって改める必要はいつの時代だって生じる。
そんなとき、誰かがリスクをとって変革の担い手とならねばならない。
その「誰か」になってほしいということだろう。その理由も「『東大卒』だから」ということから一歩進んで、「東大でリスクを最小限にする能力を培った(はず)だから」。

大学院に進む僕は、これからさらにそのような能力を身につけることを目指さなくてはなー。
共感しますた。


式が終わると、親と松本楼へ(初)。
んでサークルの友人たちと集まって写真撮ったりした。
地方に行ったりしてこれからなかなか会えなくなるような奴はサークルには1人しかいない(!)んだけど、それでもそれぞれみんな違う道を進むということで感慨深かったー。
香川の工場に行くやつ、京都の大学に行くやつ、海外に行く奴。
こっちも負けずにがんばんないとなー。

あと思ったのは
デジカメもう一回買いたい。
(秋にデジカメをなくしてから、サークルの追い出し、卒業旅行、卒業式など超重要行事に写真がとれなかった…)


その後の法学部の学位記授与式では、井上学部長が「東大法学部のラベルが負担となることもある」と言っていたが、これは僕も前から時々思っていたことで、「まあでも仕方ないよね」って感じ。
能力を上げまくるしかない。

学位記を藤原帰一教授から受け取って、懇親会には出席せずにそのまま帰宅。


まあこんな感じの一日でした。

2010年1月25日月曜日

ブロガーに移行

しました。

昔のブログはこちら

2010年1月19日火曜日

論考を書くことにした

慶應大学の西田亮介さんたちが中心となっている「.review」というプロジェクトに参加することになりそうだ。
現在はまだアブストラクトを送った段階で、どうなるかはまだわからないが、卒論の代わりにひとつ書いてみようと思う。

プロジェクトのウェブサイトは

http://dotreview2010.blogspot.com/

設立主旨は

キックオフの文章


電子書籍による出版になる可能性もあり、ますます歴史的な試みになりそう!

2010年1月10日日曜日

UTalk

今日はUTalk@情報学環にいってきやした。
ゲストスピーカーは前田幸男准教授(計量社会分析・政治学)。
研究者になった経緯や、専門である世論調査の方法論についての話を聞いた。

世論調査は基準や比較対象(時系列比較・属性比較)が重要であり、また同一の組織が同一の方法・同一の文言で行わないとほとんど意味がないとのことだった。
特に政党支持に関しては、同時期の世論調査であっても、新聞社によって20%~30%ものひらきが生じてしまうこともあるらしい。そこでは質問や選択肢の有無・数などが関係している。
前田准教授によれば、専門家から見て容易に「誘導している」と判断できる調査はまだいいが、質問の順番の組み方などの文脈によって回答が誘導されてしまうようなケースもあるという。

また、ここ最近の内閣支持率の調査を見ると、支持率は具体的な政策やスキャンダルによっても変化するが、そもそも構造的な要因として「国会閉会中は支持率が安定。予算審議の1月~3月は支持率が落ちやすい」ようだ。まあ、メディアが報道するからね。

世論がメディアによって「形成」されるというのは、別の文脈でも言える。
毎週のようにテレビに政党支持率が出されたりもするが、選挙前以外ではメディアによる野党の報道は少ないため、野党の支持率は変化しない。選挙前以外はたとえ与党の支持率が下落しても、それはそのまま野党第一党の支持率に置き換わっているわけではない。
有権者は選挙を前にしてはじめてA政党とB政党を比較し、政党支持を決めることが多いということのようだ。つまり、A政党が選挙に勝利したとしても、それはA政党の支持率が上昇したときに選挙が行われた結果、勝利したのではない。そうではなくて、支持率はほぼ変わっていない状態で、ある選挙が訪れたことをきっかけとして「A党支持にしよう」と有権者は考え、決めている。


という感じだったかな。

あと個人的には「現在有権者の選好は流動化していて、政治がそれに対応しすぎる状況がある。そんななかで世論調査のメリットはなんなのか。やりすぎないことも重要なのではないか」との質問をした。
前田准教授も世論調査のやりすぎには否定的な意見を示したうえで、「世論調査を特定のイベントの直後に行うため下方バイアスがかかっている」と述べ、世論調査は定期的に行う必要があることを指摘していた。

2010年1月7日木曜日

今年は書きます

今年はできるだけ、インプットしたことを書くという目標があるので早速。

今日はシノドスの年末号の中から、田村哲樹氏・大竹文雄氏の文章を読んだ。

 この10年を振り返り一見したところ納得のいく「市場から連帯へ」という流れに対し、田村氏は注意を促す。具体的には事業の見直しが人気政策となる状況は続いており、小さな政府路線が終わったわけではないことや、「誰の」あいだの連帯かがわからない状況が続いていること、連帯の基盤がないことの3つを挙げている。結果として連帯を生むことはできず、市場か権威にそこからの脱出策を求めていたというわけだ。これに対して田村氏はBIを例に挙げながら、共通の基盤創出の必要性を説く。共通の土台を創るために田村氏が提示する方法のうち「一般市民の視野を長期化するための仕掛けを考えること」について考えよう。これは言論NPOが目指す熟議民主主義にもつながる考え方だ。田村はそこで、熟議民主主義というのは「人々に距離をとった思考を促すための仕掛けのひとつ」と指摘している。
 ここで、昨日ustで見た「MIAU新春対談」における白田先生の発言をつなげてみよう。白田先生は自身で極論だと認めつつも「選挙活動はすべて電子化すべし」とおっしゃっていた。ちょっと聞いただけではあまりのラディカルさに驚くばかりだが、その真意は「土着の選挙活動では思考停止に陥った状態で投票がなされる」「身体性から切り離されたところで論理で判断することが民主主義には必要」とのことだ。これは田村氏が述べていた「長期的視野で思考する仕掛け」のひとつだろう。確かに選挙活動がすべて電子化されれば、そこにはPCなどのインターフェイスと自分しか存在せず、ネット上の文字や映像をクールに判断することが可能となるかもしれない。 

 あと、思想地図の第2号を改めて読み返しているのだが、これは今の僕の問題関心にどんぴしゃだ。発売当初は、「労働問題かよ」とか思ったりしてあまり関心が持てなかったのだが、この号はやばい。
第1号もいいけど、喫緊の関心からすれば2号が参考になる。