2010年8月12日木曜日

スイッチがオンされた


8月6日~8日、スイッチオンプロジェクトのジャーナリストキャンプに参加してきた。

「記者」になるつもりなんて全くなかったので、当然参加するつもりもなかったイベントであったが、
「ジャーナリズム」について現役の記者の方や関心の高い学生と話せると思い、締切ぎりぎりで
参加を決意した。


こういう経緯だったので、プログラムそれ自体よりも、いろんな人と話して考えていること
を聞いたり話したりすることに重きを置くつもりだったのだが、その考えは初日からくつがえされた。




・「ジャーナリスト」の存在証明

プログラムがぎっしりで、意見交換をする時間なんてほとんどなかったというのも原因のひとつだが、
それよりもプログラム自体の濃密さに驚き、のめりこみ、必死だったというのが大きかった。

一日目のワークショップでは「ジャーナリスト」のスキルを
①仮説構築
②調査・分析
③構成・解釈
④編集・表現
に分類したうえで、③構成までの訓練を行った。

これまで僕は、「ジャーナリスト」と呼ばれている人たちがどのようなスキルを
持っているかよくわかっていなかった。
むしろ「志」「使命感」という面でのみ特徴がある人たちなのではないか、スキルなど存在していないのではないか、とさえ考えていた。

しかし初日のプログラムで完全にこの考えは覆った。実際に自分でやってみたり、坪田知己さんの実演を見たりするなかで、「プロ」のすごさを体感した。

仮説がなかなか立てられない
思った通りに相手は話してくれない
質問しながらうまく次の展開を考えられない
等々


素人との違いは明らかだった。
「ジャーナリスト」は存在した。


・「場」の呪縛と思考停止

二日目は架空の村での実践的な取材。
前日の班会議の段階から、普段から自分が不満を抱いているような記事だけは書くまいと思っていた。

安易な二項対立
問題の構造を分析せずに、印象論・感情論に走ること
がんばっているから素晴らしい式の議論
環境、共同体、伝統などは守るべきものであり、過疎は止めるべきものであるという単純な前提

上記のような記事は、誰もがダメだと思うようなものではないし、いい記事もなかにはあるだろう。
でも少なくとも僕はあまり好まないし、普段「研究」の現場にいる立ち場からすれば、問題の構造を分析し、背景やそのメリット・デメリットを提示することが大切であると考えていた。

仮説をつくる段階や取材後の構成をする段階でも
「なぜ合理的な政策形成が妨げられているのか」について、他の過疎地域や日本全体へとある程度一般化できるような分析をしたかった(その意味では読者ターゲットは過疎地域の人だけでなかった)。物事の多義性をそのまま書きたかった。

しかしいざ構成しようとしてみると、そこでは分析のためのファクトが決定的に足りないことに気づかされた。
デスクの方には「この状態では書けないです」とも言ってしまう始末だったが、それは自分の取材ミスでもある。
そのうえ最終的には、事実が足りないと感じながらも「どうにかひとつのストーリーにする」ことを優先してしまっていた。
当初の「こんな記事は書きたくない」という考えはどこへやら。
「記事を構成しなければ」という思いに支配されていた。
「記事」らしい記事へと、思考は安易な方向へ流れていった。


取材中も思考は簡単に停止した。
PDの藤代さんも指摘されていたが、取材中、多少なりとも僕らは「記者」になってしまっていた。
いろんなことを一歩引いて見てしまう僕は、「決してメディアスクラムのようなことはないように」と思っていたし、実際多くの人が一斉にひとりに取材する光景をなんだかなと思っていた。
しかしそこでただ見ているだけにもいかないのは事実。いつのまにか競うように自分の質問をぶつけていた。

「場」に支配されっぱなしで、完全に思考は停止していた。
自分の「考え」はかくも脆かった。悔しい。



・スイッチがオンされた

班でどうにかつくった構成も、中間報告ではいろいろ指摘された。
自分でも不満に思っているものを出し、案の定ボロボロ。

そんななかでもなんとかデスクや班のメンバーと話し合いながら
最終的にひとつのものに落ち着けたのはよかったと思う。とりあえず。
納得のいく記事を書けたかというと答は「NO」だが、
現役の記者であるデスクが必死に悩む姿や、自分とは違う視点を持ったメンバーとの
対話を通じていろいろ考えるきっかけになった。


「伝える」ということは非常に困難な営みである。追い込まれた。追い込んだ。
「伝える」ということは非常に興味深い営みである。気づきがあった。
「伝える」ということは「伝わる」ことを意識しなければ成立しない。


ここで「オン」したスイッチを、「オフ」させない。


と、いろんな「学び」
というか「気づき」(それはきっかけにすぎない)や「出会い」(それを深められるかは自分次第である)
があって有意義だった一方で
当初の目的について言えば少し不十分であった。
最後の交流会がなくなってしまったことで、指導役の方や学生と話す機会が少々少なかったように思う。
そこは残念。


※写真は班で作成した記事の構成