2010年9月11日土曜日

【本・映画】阿部和重『アメリカの夜』

阿部和重の本を初めて読んだので、その感想を書こうと思う。

読んだのは阿部の処女作『アメリカの夜』

短い小説であるが、最初から内容の面白さと流れるような書き方によって
すいすいと読み進めることができた。

しかし、やはり重要なのは文章の最後であろう。

主人公の唯生はずっと「特別な存在」でありたいと願っていたが
文章の終わりには、そういった人生から自らを「切断」し「実践的な回生」を遂げる。
肥大した自意識を抱え、これまで、まわりの人たちを「小春日和」を盲信しているとして蔑んでいた
彼も、「特別な存在」というものがあることを盲信していた自分自身こそが
「小春日和」の人であったことに気づく。
そして、現実を見つめ、自分と向き合うことからしか何も始まらないという事実を受け入れる。
現実の虚構性を深く自覚しつつ、そのうえで「あえて」人生を生きる。


唯生は、現実を見ずに「虚構」に生きている「アートな人」たちの「現実感覚のなさ」に
対して苛立ち、侮蔑していたが、実際は「特別な存在」になれるということを信じていた
自分こそが「現実」が見えていない「虚構の人」であった、という風に書かれている。
しかし、ここである疑問が浮かぶのだ。

これまで自分と他者を異なる存在として位置付けてきた人物が、
自分も他者も同じように「虚構」ばかり見ていたという点では同じであり
「特別な存在」の不可能性を知る、といっても
そこに残るのは「自己と他者の同質性」ではなく
依然として「そういう事態に気づいている自己と他者の差異」ではないだろうか。

自分は「特別な存在」にはなれない
だが、周りともやはり違うのだ


そういう心境に、人はなるのではないだろうか
そこにもはや自己の「特別性」は存在しないが、自己と他者との終わりなき「差異化」
が繰り広げられる可能性がある

そして、そのことは唯生のような人物にとって
真の意味で「現実」と向き合うことを可能にするのか…