2010年1月25日月曜日

ブロガーに移行

しました。

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2010年1月19日火曜日

論考を書くことにした

慶應大学の西田亮介さんたちが中心となっている「.review」というプロジェクトに参加することになりそうだ。
現在はまだアブストラクトを送った段階で、どうなるかはまだわからないが、卒論の代わりにひとつ書いてみようと思う。

プロジェクトのウェブサイトは

http://dotreview2010.blogspot.com/

設立主旨は

キックオフの文章


電子書籍による出版になる可能性もあり、ますます歴史的な試みになりそう!

2010年1月10日日曜日

UTalk

今日はUTalk@情報学環にいってきやした。
ゲストスピーカーは前田幸男准教授(計量社会分析・政治学)。
研究者になった経緯や、専門である世論調査の方法論についての話を聞いた。

世論調査は基準や比較対象(時系列比較・属性比較)が重要であり、また同一の組織が同一の方法・同一の文言で行わないとほとんど意味がないとのことだった。
特に政党支持に関しては、同時期の世論調査であっても、新聞社によって20%~30%ものひらきが生じてしまうこともあるらしい。そこでは質問や選択肢の有無・数などが関係している。
前田准教授によれば、専門家から見て容易に「誘導している」と判断できる調査はまだいいが、質問の順番の組み方などの文脈によって回答が誘導されてしまうようなケースもあるという。

また、ここ最近の内閣支持率の調査を見ると、支持率は具体的な政策やスキャンダルによっても変化するが、そもそも構造的な要因として「国会閉会中は支持率が安定。予算審議の1月~3月は支持率が落ちやすい」ようだ。まあ、メディアが報道するからね。

世論がメディアによって「形成」されるというのは、別の文脈でも言える。
毎週のようにテレビに政党支持率が出されたりもするが、選挙前以外ではメディアによる野党の報道は少ないため、野党の支持率は変化しない。選挙前以外はたとえ与党の支持率が下落しても、それはそのまま野党第一党の支持率に置き換わっているわけではない。
有権者は選挙を前にしてはじめてA政党とB政党を比較し、政党支持を決めることが多いということのようだ。つまり、A政党が選挙に勝利したとしても、それはA政党の支持率が上昇したときに選挙が行われた結果、勝利したのではない。そうではなくて、支持率はほぼ変わっていない状態で、ある選挙が訪れたことをきっかけとして「A党支持にしよう」と有権者は考え、決めている。


という感じだったかな。

あと個人的には「現在有権者の選好は流動化していて、政治がそれに対応しすぎる状況がある。そんななかで世論調査のメリットはなんなのか。やりすぎないことも重要なのではないか」との質問をした。
前田准教授も世論調査のやりすぎには否定的な意見を示したうえで、「世論調査を特定のイベントの直後に行うため下方バイアスがかかっている」と述べ、世論調査は定期的に行う必要があることを指摘していた。

2010年1月7日木曜日

今年は書きます

今年はできるだけ、インプットしたことを書くという目標があるので早速。

今日はシノドスの年末号の中から、田村哲樹氏・大竹文雄氏の文章を読んだ。

 この10年を振り返り一見したところ納得のいく「市場から連帯へ」という流れに対し、田村氏は注意を促す。具体的には事業の見直しが人気政策となる状況は続いており、小さな政府路線が終わったわけではないことや、「誰の」あいだの連帯かがわからない状況が続いていること、連帯の基盤がないことの3つを挙げている。結果として連帯を生むことはできず、市場か権威にそこからの脱出策を求めていたというわけだ。これに対して田村氏はBIを例に挙げながら、共通の基盤創出の必要性を説く。共通の土台を創るために田村氏が提示する方法のうち「一般市民の視野を長期化するための仕掛けを考えること」について考えよう。これは言論NPOが目指す熟議民主主義にもつながる考え方だ。田村はそこで、熟議民主主義というのは「人々に距離をとった思考を促すための仕掛けのひとつ」と指摘している。
 ここで、昨日ustで見た「MIAU新春対談」における白田先生の発言をつなげてみよう。白田先生は自身で極論だと認めつつも「選挙活動はすべて電子化すべし」とおっしゃっていた。ちょっと聞いただけではあまりのラディカルさに驚くばかりだが、その真意は「土着の選挙活動では思考停止に陥った状態で投票がなされる」「身体性から切り離されたところで論理で判断することが民主主義には必要」とのことだ。これは田村氏が述べていた「長期的視野で思考する仕掛け」のひとつだろう。確かに選挙活動がすべて電子化されれば、そこにはPCなどのインターフェイスと自分しか存在せず、ネット上の文字や映像をクールに判断することが可能となるかもしれない。 

 あと、思想地図の第2号を改めて読み返しているのだが、これは今の僕の問題関心にどんぴしゃだ。発売当初は、「労働問題かよ」とか思ったりしてあまり関心が持てなかったのだが、この号はやばい。
第1号もいいけど、喫緊の関心からすれば2号が参考になる。

2010年1月4日月曜日

2010年

遅ればせながら、昨年の反省と今年の目標を記しておこう

<昨年の反省>

思えば昨年の一月に帰省したときに大学院受験を親に告げ、なんとか説得したのだった。そしてそのころは漠然と「このまま公務員になっても仕方ない。必ず後悔する。」と思い、公共政策大学院か情報学環かに行こうと考えていた。もっと言えば、どちらかというと公共政策に行く気だった。

それが言論での活動や勉強していくうちに徐々に変わって、3月頃には学環が第一志望に。
シュウカツで忙しがっているのに焦りを感じたのか、言論の活動をかなりやってた。
そんななかでも、いろんな勉強会に顔出したり、教授に話聞きに行ったりして、いろいろ吸収しようとはしてたはず。
でもやはり言論の活動に忙殺され、人間関係的にはあまりよろしくなかった。

「自分のためだ」「自分とみんなは進む道が違うのだ」
こういった正当化の言葉を自らに語りかけ、
そのまま実績評価・マニフェスト評価へ
楽になるためか、いつのまにか思考停止へ
たしかに活動の意義は認めるけれど、本当に自分が求めているのはこれか?
疑問に思いながらも、最後までやりきった
成果は納得のいくものだったけど、
人とのつながりを失いかけた気がする
でも一方で、もともとたいした人間関係を自分が構築できていなかったことを改めて痛感した
山月記の主人公のようだ


そうこうしているうちに8月の大学院入試
政治学、国際政治の教科書をなんども繰り返したなー
とりあえず、受かってよかったよ

合格後は夏休みで久しぶりの「遊び」を満喫
冬学期になると、また言論と大学の生活

でも、少し人のことを考える余裕ができた
というより、つくるようになれた
労働の主人にならねばならないのだ

そのためには、常に思考をはりめぐらさないといけない
さらにそのためには、適度な作業量と十分なアウトプットを行わないといけない

ということで
<今年の目標>

 ・人と親密になる(自分のことだけに集中しない)
 ・インプットとアウトプット
   一冊読んだらブログ書く、その時に既知の情報と結びつける、関係の仕方も注意
   最低でもMMに引用や感想を書く
   アウトプットを機会として、自分で考える時間をとらないと身に付かない
 ・専門と幅広い知識
   今なにをどのような視点で捉えているか意識、関連付け、位置関係を意識
   研究の方法論を勉強
   英語
 ・軽いフットワークと慎重な決断 
   新しい出会いを求めて軽やかに動く、一方で決断・コミットは慎重に、決断したら集中を

具体的には2月くらいまでに、現代の労働と公共性の関係についての文章を一本あげたい。試験とかあるから微妙だが…
3月は院進学の準備として、基礎的な文献は読んでおきたい。でもメディア系だけでなく公共性論の文献にもあたらねばならず…
これはまずい。。。

が、自分で決めた道だし、やりまっすかーーーーーーーー。