節目の日なので、ちょっと細かく記しておこう。
前日は普段の夜更かし生活のせいかなかなか寝付けなかったのだが、まさか親の電話で目を覚ますとは思っていなかった。卒業式は9時から。でも携帯を見てみると…
8時20分
あー、やっちまった。よりによってこんな日に。
せっかく前日に切った髪もぼさぼさのまま、ありえないくらい急いで支度。
雨。
タクシーだ!
というわけでタクシーに乗ったものの、本郷通りは激混み。
途中で降りてダッシュ、ダッシュ、ダッシュ。
なんとか間に合って安田講堂に入り、先輩にとってもらっていた席へ。
普通に立ち見になるところだったよ。
式のなかで濱田総長が強調していたのは
・リスクをとれ
・多様性
の2つだった。
特に前者については、東京大学で学んだ学生はリスクを最小にできる能力を身につけているはずなので、制度の構築・改革を行う必要が生じたときは率先してリスクをとって行動してほしいということだった。
西田亮介さんも最近よく言われていることだが、日本ではどんどん若者がリスクをとらなくなってきている。
しかしながら、社会の制度や慣習が現状に合わなくなって改める必要はいつの時代だって生じる。
そんなとき、誰かがリスクをとって変革の担い手とならねばならない。
その「誰か」になってほしいということだろう。その理由も「『東大卒』だから」ということから一歩進んで、「東大でリスクを最小限にする能力を培った(はず)だから」。
大学院に進む僕は、これからさらにそのような能力を身につけることを目指さなくてはなー。
共感しますた。
式が終わると、親と松本楼へ(初)。
んでサークルの友人たちと集まって写真撮ったりした。
地方に行ったりしてこれからなかなか会えなくなるような奴はサークルには1人しかいない(!)んだけど、それでもそれぞれみんな違う道を進むということで感慨深かったー。
香川の工場に行くやつ、京都の大学に行くやつ、海外に行く奴。
こっちも負けずにがんばんないとなー。
あと思ったのは
デジカメもう一回買いたい。
(秋にデジカメをなくしてから、サークルの追い出し、卒業旅行、卒業式など超重要行事に写真がとれなかった…)
その後の法学部の学位記授与式では、井上学部長が「東大法学部のラベルが負担となることもある」と言っていたが、これは僕も前から時々思っていたことで、「まあでも仕方ないよね」って感じ。
能力を上げまくるしかない。
学位記を藤原帰一教授から受け取って、懇親会には出席せずにそのまま帰宅。
まあこんな感じの一日でした。
2010年1月19日火曜日
論考を書くことにした
慶應大学の西田亮介さんたちが中心となっている「.review」というプロジェクトに参加することになりそうだ。
現在はまだアブストラクトを送った段階で、どうなるかはまだわからないが、卒論の代わりにひとつ書いてみようと思う。
プロジェクトのウェブサイトは
http://dotreview2010.blogspot.com/
設立主旨は
キックオフの文章
電子書籍による出版になる可能性もあり、ますます歴史的な試みになりそう!
現在はまだアブストラクトを送った段階で、どうなるかはまだわからないが、卒論の代わりにひとつ書いてみようと思う。
プロジェクトのウェブサイトは
http://dotreview2010.blogspot.com/
設立主旨は
キックオフの文章
電子書籍による出版になる可能性もあり、ますます歴史的な試みになりそう!
2010年1月10日日曜日
UTalk
今日はUTalk@情報学環にいってきやした。
ゲストスピーカーは前田幸男准教授(計量社会分析・政治学)。
研究者になった経緯や、専門である世論調査の方法論についての話を聞いた。
世論調査は基準や比較対象(時系列比較・属性比較)が重要であり、また同一の組織が同一の方法・同一の文言で行わないとほとんど意味がないとのことだった。
特に政党支持に関しては、同時期の世論調査であっても、新聞社によって20%~30%ものひらきが生じてしまうこともあるらしい。そこでは質問や選択肢の有無・数などが関係している。
前田准教授によれば、専門家から見て容易に「誘導している」と判断できる調査はまだいいが、質問の順番の組み方などの文脈によって回答が誘導されてしまうようなケースもあるという。
また、ここ最近の内閣支持率の調査を見ると、支持率は具体的な政策やスキャンダルによっても変化するが、そもそも構造的な要因として「国会閉会中は支持率が安定。予算審議の1月~3月は支持率が落ちやすい」ようだ。まあ、メディアが報道するからね。
世論がメディアによって「形成」されるというのは、別の文脈でも言える。
毎週のようにテレビに政党支持率が出されたりもするが、選挙前以外ではメディアによる野党の報道は少ないため、野党の支持率は変化しない。選挙前以外はたとえ与党の支持率が下落しても、それはそのまま野党第一党の支持率に置き換わっているわけではない。
有権者は選挙を前にしてはじめてA政党とB政党を比較し、政党支持を決めることが多いということのようだ。つまり、A政党が選挙に勝利したとしても、それはA政党の支持率が上昇したときに選挙が行われた結果、勝利したのではない。そうではなくて、支持率はほぼ変わっていない状態で、ある選挙が訪れたことをきっかけとして「A党支持にしよう」と有権者は考え、決めている。
という感じだったかな。
あと個人的には「現在有権者の選好は流動化していて、政治がそれに対応しすぎる状況がある。そんななかで世論調査のメリットはなんなのか。やりすぎないことも重要なのではないか」との質問をした。
前田准教授も世論調査のやりすぎには否定的な意見を示したうえで、「世論調査を特定のイベントの直後に行うため下方バイアスがかかっている」と述べ、世論調査は定期的に行う必要があることを指摘していた。
ゲストスピーカーは前田幸男准教授(計量社会分析・政治学)。
研究者になった経緯や、専門である世論調査の方法論についての話を聞いた。
世論調査は基準や比較対象(時系列比較・属性比較)が重要であり、また同一の組織が同一の方法・同一の文言で行わないとほとんど意味がないとのことだった。
特に政党支持に関しては、同時期の世論調査であっても、新聞社によって20%~30%ものひらきが生じてしまうこともあるらしい。そこでは質問や選択肢の有無・数などが関係している。
前田准教授によれば、専門家から見て容易に「誘導している」と判断できる調査はまだいいが、質問の順番の組み方などの文脈によって回答が誘導されてしまうようなケースもあるという。
また、ここ最近の内閣支持率の調査を見ると、支持率は具体的な政策やスキャンダルによっても変化するが、そもそも構造的な要因として「国会閉会中は支持率が安定。予算審議の1月~3月は支持率が落ちやすい」ようだ。まあ、メディアが報道するからね。
世論がメディアによって「形成」されるというのは、別の文脈でも言える。
毎週のようにテレビに政党支持率が出されたりもするが、選挙前以外ではメディアによる野党の報道は少ないため、野党の支持率は変化しない。選挙前以外はたとえ与党の支持率が下落しても、それはそのまま野党第一党の支持率に置き換わっているわけではない。
有権者は選挙を前にしてはじめてA政党とB政党を比較し、政党支持を決めることが多いということのようだ。つまり、A政党が選挙に勝利したとしても、それはA政党の支持率が上昇したときに選挙が行われた結果、勝利したのではない。そうではなくて、支持率はほぼ変わっていない状態で、ある選挙が訪れたことをきっかけとして「A党支持にしよう」と有権者は考え、決めている。
という感じだったかな。
あと個人的には「現在有権者の選好は流動化していて、政治がそれに対応しすぎる状況がある。そんななかで世論調査のメリットはなんなのか。やりすぎないことも重要なのではないか」との質問をした。
前田准教授も世論調査のやりすぎには否定的な意見を示したうえで、「世論調査を特定のイベントの直後に行うため下方バイアスがかかっている」と述べ、世論調査は定期的に行う必要があることを指摘していた。
2010年1月7日木曜日
今年は書きます
今年はできるだけ、インプットしたことを書くという目標があるので早速。
今日はシノドスの年末号の中から、田村哲樹氏・大竹文雄氏の文章を読んだ。
この10年を振り返り一見したところ納得のいく「市場から連帯へ」という流れに対し、田村氏は注意を促す。具体的には事業の見直しが人気政策となる状況は続いており、小さな政府路線が終わったわけではないことや、「誰の」あいだの連帯かがわからない状況が続いていること、連帯の基盤がないことの3つを挙げている。結果として連帯を生むことはできず、市場か権威にそこからの脱出策を求めていたというわけだ。これに対して田村氏はBIを例に挙げながら、共通の基盤創出の必要性を説く。共通の土台を創るために田村氏が提示する方法のうち「一般市民の視野を長期化するための仕掛けを考えること」について考えよう。これは言論NPOが目指す熟議民主主義にもつながる考え方だ。田村はそこで、熟議民主主義というのは「人々に距離をとった思考を促すための仕掛けのひとつ」と指摘している。
ここで、昨日ustで見た「MIAU新春対談」における白田先生の発言をつなげてみよう。白田先生は自身で極論だと認めつつも「選挙活動はすべて電子化すべし」とおっしゃっていた。ちょっと聞いただけではあまりのラディカルさに驚くばかりだが、その真意は「土着の選挙活動では思考停止に陥った状態で投票がなされる」「身体性から切り離されたところで論理で判断することが民主主義には必要」とのことだ。これは田村氏が述べていた「長期的視野で思考する仕掛け」のひとつだろう。確かに選挙活動がすべて電子化されれば、そこにはPCなどのインターフェイスと自分しか存在せず、ネット上の文字や映像をクールに判断することが可能となるかもしれない。
あと、思想地図の第2号を改めて読み返しているのだが、これは今の僕の問題関心にどんぴしゃだ。発売当初は、「労働問題かよ」とか思ったりしてあまり関心が持てなかったのだが、この号はやばい。
第1号もいいけど、喫緊の関心からすれば2号が参考になる。
今日はシノドスの年末号の中から、田村哲樹氏・大竹文雄氏の文章を読んだ。
この10年を振り返り一見したところ納得のいく「市場から連帯へ」という流れに対し、田村氏は注意を促す。具体的には事業の見直しが人気政策となる状況は続いており、小さな政府路線が終わったわけではないことや、「誰の」あいだの連帯かがわからない状況が続いていること、連帯の基盤がないことの3つを挙げている。結果として連帯を生むことはできず、市場か権威にそこからの脱出策を求めていたというわけだ。これに対して田村氏はBIを例に挙げながら、共通の基盤創出の必要性を説く。共通の土台を創るために田村氏が提示する方法のうち「一般市民の視野を長期化するための仕掛けを考えること」について考えよう。これは言論NPOが目指す熟議民主主義にもつながる考え方だ。田村はそこで、熟議民主主義というのは「人々に距離をとった思考を促すための仕掛けのひとつ」と指摘している。
ここで、昨日ustで見た「MIAU新春対談」における白田先生の発言をつなげてみよう。白田先生は自身で極論だと認めつつも「選挙活動はすべて電子化すべし」とおっしゃっていた。ちょっと聞いただけではあまりのラディカルさに驚くばかりだが、その真意は「土着の選挙活動では思考停止に陥った状態で投票がなされる」「身体性から切り離されたところで論理で判断することが民主主義には必要」とのことだ。これは田村氏が述べていた「長期的視野で思考する仕掛け」のひとつだろう。確かに選挙活動がすべて電子化されれば、そこにはPCなどのインターフェイスと自分しか存在せず、ネット上の文字や映像をクールに判断することが可能となるかもしれない。
あと、思想地図の第2号を改めて読み返しているのだが、これは今の僕の問題関心にどんぴしゃだ。発売当初は、「労働問題かよ」とか思ったりしてあまり関心が持てなかったのだが、この号はやばい。
第1号もいいけど、喫緊の関心からすれば2号が参考になる。
2010年1月4日月曜日
2010年
遅ればせながら、昨年の反省と今年の目標を記しておこう
<昨年の反省>
思えば昨年の一月に帰省したときに大学院受験を親に告げ、なんとか説得したのだった。そしてそのころは漠然と「このまま公務員になっても仕方ない。必ず後悔する。」と思い、公共政策大学院か情報学環かに行こうと考えていた。もっと言えば、どちらかというと公共政策に行く気だった。
それが言論での活動や勉強していくうちに徐々に変わって、3月頃には学環が第一志望に。
シュウカツで忙しがっているのに焦りを感じたのか、言論の活動をかなりやってた。
そんななかでも、いろんな勉強会に顔出したり、教授に話聞きに行ったりして、いろいろ吸収しようとはしてたはず。
でもやはり言論の活動に忙殺され、人間関係的にはあまりよろしくなかった。
「自分のためだ」「自分とみんなは進む道が違うのだ」
こういった正当化の言葉を自らに語りかけ、
そのまま実績評価・マニフェスト評価へ
楽になるためか、いつのまにか思考停止へ
たしかに活動の意義は認めるけれど、本当に自分が求めているのはこれか?
疑問に思いながらも、最後までやりきった
成果は納得のいくものだったけど、
人とのつながりを失いかけた気がする
でも一方で、もともとたいした人間関係を自分が構築できていなかったことを改めて痛感した
山月記の主人公のようだ
そうこうしているうちに8月の大学院入試
政治学、国際政治の教科書をなんども繰り返したなー
とりあえず、受かってよかったよ
合格後は夏休みで久しぶりの「遊び」を満喫
冬学期になると、また言論と大学の生活
でも、少し人のことを考える余裕ができた
というより、つくるようになれた
労働の主人にならねばならないのだ
そのためには、常に思考をはりめぐらさないといけない
さらにそのためには、適度な作業量と十分なアウトプットを行わないといけない
ということで
<今年の目標>
・人と親密になる(自分のことだけに集中しない)
・インプットとアウトプット
一冊読んだらブログ書く、その時に既知の情報と結びつける、関係の仕方も注意
最低でもMMに引用や感想を書く
アウトプットを機会として、自分で考える時間をとらないと身に付かない
・専門と幅広い知識
今なにをどのような視点で捉えているか意識、関連付け、位置関係を意識
研究の方法論を勉強
英語
・軽いフットワークと慎重な決断
新しい出会いを求めて軽やかに動く、一方で決断・コミットは慎重に、決断したら集中を
具体的には2月くらいまでに、現代の労働と公共性の関係についての文章を一本あげたい。試験とかあるから微妙だが…
3月は院進学の準備として、基礎的な文献は読んでおきたい。でもメディア系だけでなく公共性論の文献にもあたらねばならず…
これはまずい。。。
が、自分で決めた道だし、やりまっすかーーーーーーーー。
<昨年の反省>
思えば昨年の一月に帰省したときに大学院受験を親に告げ、なんとか説得したのだった。そしてそのころは漠然と「このまま公務員になっても仕方ない。必ず後悔する。」と思い、公共政策大学院か情報学環かに行こうと考えていた。もっと言えば、どちらかというと公共政策に行く気だった。
それが言論での活動や勉強していくうちに徐々に変わって、3月頃には学環が第一志望に。
シュウカツで忙しがっているのに焦りを感じたのか、言論の活動をかなりやってた。
そんななかでも、いろんな勉強会に顔出したり、教授に話聞きに行ったりして、いろいろ吸収しようとはしてたはず。
でもやはり言論の活動に忙殺され、人間関係的にはあまりよろしくなかった。
「自分のためだ」「自分とみんなは進む道が違うのだ」
こういった正当化の言葉を自らに語りかけ、
そのまま実績評価・マニフェスト評価へ
楽になるためか、いつのまにか思考停止へ
たしかに活動の意義は認めるけれど、本当に自分が求めているのはこれか?
疑問に思いながらも、最後までやりきった
成果は納得のいくものだったけど、
人とのつながりを失いかけた気がする
でも一方で、もともとたいした人間関係を自分が構築できていなかったことを改めて痛感した
山月記の主人公のようだ
そうこうしているうちに8月の大学院入試
政治学、国際政治の教科書をなんども繰り返したなー
とりあえず、受かってよかったよ
合格後は夏休みで久しぶりの「遊び」を満喫
冬学期になると、また言論と大学の生活
でも、少し人のことを考える余裕ができた
というより、つくるようになれた
労働の主人にならねばならないのだ
そのためには、常に思考をはりめぐらさないといけない
さらにそのためには、適度な作業量と十分なアウトプットを行わないといけない
ということで
<今年の目標>
・人と親密になる(自分のことだけに集中しない)
・インプットとアウトプット
一冊読んだらブログ書く、その時に既知の情報と結びつける、関係の仕方も注意
最低でもMMに引用や感想を書く
アウトプットを機会として、自分で考える時間をとらないと身に付かない
・専門と幅広い知識
今なにをどのような視点で捉えているか意識、関連付け、位置関係を意識
研究の方法論を勉強
英語
・軽いフットワークと慎重な決断
新しい出会いを求めて軽やかに動く、一方で決断・コミットは慎重に、決断したら集中を
具体的には2月くらいまでに、現代の労働と公共性の関係についての文章を一本あげたい。試験とかあるから微妙だが…
3月は院進学の準備として、基礎的な文献は読んでおきたい。でもメディア系だけでなく公共性論の文献にもあたらねばならず…
これはまずい。。。
が、自分で決めた道だし、やりまっすかーーーーーーーー。
2009年12月16日水曜日
社会起業なるものの今後
最近めっきり「社会企業」という言葉を聞く機会が増えた。大学でそんな名前のセミナーをやっていたり、今日いった飲みも「ソーシャルデザイナーズドリンク」だ。
ツイッターをやってる人の中にはかなりそういう系の人が多い気もする。
社会企業、NPO、やりがい、国際協力、
これらは単なる一過性のブームなのだろうか。
違うだろう。
これまで企業はCSRというかたちで社会的責任を果たしているとアピールすることは確かにあったが、利潤追求を第一に考える企業が口にする「社会的責任」は往々にして単なるイメージ戦略となってしまいがちだった。
しかし、現在の社会起業はこれとは本質的に異なるものだ。
そもそも、日本的経営が国民の多くに利益をもたらしており、多くの人にとって大企業に入社することが夢であった時代には、仮に仕事にやりがいなどを求めようとしても結果として「あちら側」のルールに従うしかないだろう。そのルールに従わない限り、ヒエラルキーの下層で暮らすことを余儀なくされ、またそこからはいあがることも困難だからだ。社会はそういう風にまわっていた。
しかし、それもかつての話だ。
日本的経営は崩れ去った。「超安定社会の神話」はもう存在しないのだ。
さらに、社会起業などにより(特にITの分野において)実際に成功している人が現れている。かつてのルールに従っていても確実な成功は遂げられず、むしろやりがいを感じながら仕事ができる「社会起業」が人気となるのもうなづける。
さらに現在30代より下の世代こそは、IT革命(死語?)の恩恵をもろに受けている「ネットネーティブ」である。この世代の人はITを使った新産業、新事業の展開において、先行世代よりも圧倒的に有利である。わざわざ先行世代と同じ土俵で戦う必要もないのである。
と、いう感じで、おそらく今後もNPOや社会起業のムーブメントは続くと思われる。
そして、僕はこれを新「公共性の構造転換」と呼びたい。ちょっと大げさ??w
というのも80年代以降、人々の消費主義・私生活志向は強まり、誰も政治に関心など向けず、向けたと思えば個別利害の表出ばかりという時代に突入し、もう「議論」などによる公共性は不可能とも考えられていたからだ。(少なくとも僕は悲観的にそう見ていた)
しかし現在の状況を見ると、社会変革の担い手となろうという意識のもとに動き、また同様の考えを持つ人々とのネットワークを構築しようという人がかなりいると思われる。そういった人たちが積極的に利用しているのがツイッターなどのメディアである(今日感じたことだが、社会起業を志す人とメディアのアーリーアダプタ層は割りと近いのではないか)。
メディアという、それ自体公共性を考えるうえで有用なものを通じて、公共的なムーブメントが引き起こされていると思うと、僕の修士での研究も非常に楽しみなものに思えてきた!!
ツイッターをやってる人の中にはかなりそういう系の人が多い気もする。
社会企業、NPO、やりがい、国際協力、
これらは単なる一過性のブームなのだろうか。
違うだろう。
これまで企業はCSRというかたちで社会的責任を果たしているとアピールすることは確かにあったが、利潤追求を第一に考える企業が口にする「社会的責任」は往々にして単なるイメージ戦略となってしまいがちだった。
しかし、現在の社会起業はこれとは本質的に異なるものだ。
そもそも、日本的経営が国民の多くに利益をもたらしており、多くの人にとって大企業に入社することが夢であった時代には、仮に仕事にやりがいなどを求めようとしても結果として「あちら側」のルールに従うしかないだろう。そのルールに従わない限り、ヒエラルキーの下層で暮らすことを余儀なくされ、またそこからはいあがることも困難だからだ。社会はそういう風にまわっていた。
しかし、それもかつての話だ。
日本的経営は崩れ去った。「超安定社会の神話」はもう存在しないのだ。
さらに、社会起業などにより(特にITの分野において)実際に成功している人が現れている。かつてのルールに従っていても確実な成功は遂げられず、むしろやりがいを感じながら仕事ができる「社会起業」が人気となるのもうなづける。
さらに現在30代より下の世代こそは、IT革命(死語?)の恩恵をもろに受けている「ネットネーティブ」である。この世代の人はITを使った新産業、新事業の展開において、先行世代よりも圧倒的に有利である。わざわざ先行世代と同じ土俵で戦う必要もないのである。
と、いう感じで、おそらく今後もNPOや社会起業のムーブメントは続くと思われる。
そして、僕はこれを新「公共性の構造転換」と呼びたい。ちょっと大げさ??w
というのも80年代以降、人々の消費主義・私生活志向は強まり、誰も政治に関心など向けず、向けたと思えば個別利害の表出ばかりという時代に突入し、もう「議論」などによる公共性は不可能とも考えられていたからだ。(少なくとも僕は悲観的にそう見ていた)
しかし現在の状況を見ると、社会変革の担い手となろうという意識のもとに動き、また同様の考えを持つ人々とのネットワークを構築しようという人がかなりいると思われる。そういった人たちが積極的に利用しているのがツイッターなどのメディアである(今日感じたことだが、社会起業を志す人とメディアのアーリーアダプタ層は割りと近いのではないか)。
メディアという、それ自体公共性を考えるうえで有用なものを通じて、公共的なムーブメントが引き起こされていると思うと、僕の修士での研究も非常に楽しみなものに思えてきた!!
登録:
投稿 (Atom)